« 台風23号 | Main | 合同ゼミ第9回会合 »

Oct 21, 2004

シリーズ城 Shiro-2

名古屋城

『名古屋城』
所在地:愛知県名古屋市本丸
公 式:http://www.nagoyajo.naka.nagoya.jp/
築城年:慶長17年(1612年)
築 城:徳川家康
城 主:徳川義直、以後尾張徳川家16代

 「尾張名古屋は城でもつ」の名古屋城。
 東海道の交通の要所に建てられた江戸時代を代表する平城。大阪の豊臣氏の備えとして築城された。当時尾張の中心は清須であったが、1609年に徳川家康が清須から名古屋遷府を決定し、1610年に築城を加藤清正、福島正則、前田利家ら西国20諸大名家に命じた。
 名古屋城が完成すると、清須城主徳川義直は名古屋城へ城下町ごと移った(清須越し)。

石垣 石垣の石には、運んだ大名や家臣たちの刻印が残されている。

 名古屋城の二ノ丸は旧那古野城であるので、こちらも触れておく。


『那古野城』
築城年:大永年間(1521年~1528年)の初め
築 城:今川氏親
城 主:今川氏豊→織田信秀→信長→信光

 元々は、今川氏親が尾張進出の要として築城した。1535年、三河の松平清康が暗殺されると三河からの圧力がなくなり、織田信秀の謀略により奪取。以後居城とする。
 嫡男信長が生まれるとこれに譲り、信秀は古渡城へ移る(信長の生まれは那古野城ではなく、勝幡城ではないかという説もある)。
 信長は、元服や帰蝶(お濃)との新婚をこの城で過ごしている。
 信長が清須の織田信友を討つと、清須城へ移り、後に叔父の信光が入るが、のちに廃城となる。
 築城された頃から那古野は栄えていたらしく、城下町も大規模なものがあったという。


表二之門 明治維新後は陸軍省の管理下に置かれ、司令部などが設置されていた。1893年、宮内省へ移管され「名古屋離宮」となり、後に1930年に名古屋市に下賜される。この後一般公開されることとなる。
 1945年、名古屋空襲で天守閣や本丸御殿が焼失。櫓などの焼失を免れた部分は国の重要文化財となっている。


 現在、名古屋城は1959年に再現されたもので、博物館になっています。
 行ったのが連休中だったということもあったでしょうが、家族連れでにぎわっていました。
 城址公園はすべてまわると3,4時間は軽くかかるくらいの広さがあります。
 入園料は大人¥500、子供¥100です。


武将列伝

徳川義直(1600~1650)
 徳川家康の九男で、徳川御三家筆頭尾張家の祖。1607年に尾張清須城25万石。翌年尾張一国を与えられ、1612年に名古屋城へ移る。1619年に61万石余に加増される。
 著書に「神祗宝典」「類聚日本紀」などがある。

清和源氏新田氏流徳川氏系図
家康┬信康┌忠直
  ├秀康┼忠昌(高田松平)
  │  ├直政(松江松平)
  │  ├直基(厩橋松平)
  │  └直良(明石松平)
  ├秀忠┬家光(徳川宗家)
  ├忠吉├忠長
  ├信吉└正之(会津松平)
  ├忠輝   ┌綱誠┬吉通(尾張徳川)
  ├松千代  ├義行├継友
  ├仙千代  ├義昌├宗春
  ├義直─光友┴友著└友淳
  ├順宣┬光貞(紀州徳川)
  │  └頼純(西条松平)
  └頼房┬頼重(高松松平)
     └光圀(水戸徳川)


織田信秀(1510~1551)
 織田弾正忠家信定の子。織田大和守の一族で、はじめ三奉行。
 主家を圧倒する勢いをもち、那古野城、安祥城を奪取、1542年に小豆坂の戦いで今川を破って西三河を制圧。1547年には美濃に侵攻するも斎藤道三に破れ、翌年、道三の姫帰蝶を嫡男信長の嫁に迎えることで講和。同年、安祥城を奪還され、長男信広と松平竹千代との人質交換を行う。
 1551年、末森城で病死。

織田信長(1534~1582)
 織田信秀の嫡男。那古野城で生まれる。1548年、斎藤道三の娘帰蝶と結婚。1551年に父の部費での病死で家督を継ぐ。信長は「うつけ者」と評されていたため、この後家中が分裂するが、各個撃破し、1555年に清須城を、1559年に岩倉城を奪い尾張一国と一族をほぼ統一した。
 1560年に桶狭間の戦いで今川義元を破り、徳川家康と同盟することで三河方面の不安を除くと美濃平定に動く。この時点で信長は長槍と鉄砲で武装した強大な軍団を有している。
 1567年に斎藤龍興を追放して美濃を平定、岐阜城へ移る。このころから「天下布武」の印を使用しはじめる。
 1568年、足利義昭の要請で上洛、善明に助勢し、これを将軍とする。しかし、義昭が信長包囲網を結成したので、1570年に義昭から実権を奪う。同年、包囲網のうち浅井・朝倉連合軍と姉川の戦いでぶつかり、これに勝利する。しかし、伊勢長島一向一揆では破れる。
 1571年には浅井・朝倉に味方した延暦寺を焼討。1572年に武田信玄が兵を挙げ、三河で織田・徳川連合軍はこれに対するも敗走する。しかし、1573年に信玄が病死したことで状況は一転。義昭を幕府から追放し、足利幕府を滅ぼす。
 同年、浅井・朝倉両氏を滅ぼし、一向一揆を討伐、1575年には長篠の戦いで武田勝頼を破る。
 1576年、安土城を築城し、尾張・美濃を嫡男信忠に譲り、ここに移る。
 羽柴秀吉、明智光秀らを中国地方に派遣し、中国攻略を開始。
 1580年に石山本願寺を破り、1582年に武田氏を滅ぼす。
 同年6月2日、四国出兵のために本能寺で宿していたところを明智光秀の謀反にあい自刃。

藤原氏流織田氏系図
久長┬敏定┬敏信   ┌信広   ┌秀信
  └常寛├信定┬信秀信長┬信忠┴秀則
     │  │  │  ├信雄┬秀雄
     │  │  │  ├信孝├信良(天童藩)
     │  │  │  ├勝長└高長(柏原藩)
     │  │  │  ├信高
     │  │  │  ├信貞
     │  │  │  ├信好
     │  │  │  └長次
     │  │  ├信行─信澄
     │  │  ├信包─信重
     │  │  ├信治
     │  │  ├信時
     │  │  ├信興
     │  │  ├秀成┌長孝
     │  │  ├長益┼長政(芝村藩)
     │  │  └長利└尚長(柳本藩)
     │  ├信康─信清
     │  ├信広
     │  ├信光─信成
     │  └信次
     └信安─信賢(岩倉城主)


今川氏豊(生没年不詳)
 尾張那古野城主。1538年、織田信秀に奪取される。
 連歌などを好んだ。

清和源氏足利氏流今川氏系図
範忠┬義忠─氏親┬氏輝
  └範勝   ├玄広恵深 ┌範以
        ├義元─氏真┼高久(品川)
        └氏豊   └安信(西尾)




|

« 台風23号 | Main | 合同ゼミ第9回会合 »

旅行」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/47695/15650343

Listed below are links to weblogs that reference シリーズ城 Shiro-2:

» (罵詈総論)信長 [悪魔の辞典+ 衆議院選、日本共産党は5割増で議席倍増、5割減で一つしか残らず?]
斎藤義龍は共産党の未来か [Read More]

Tracked on Sep 10, 2005 at 09:26 PM

» 那古野城跡 [歴史マニアへの招待]
名古屋城の二の丸付近に那古野城の跡地がある。 那古野城は織田信長が生まれた城。 那古野城の遺構は全くなく石碑だけが建っている。 石碑をよく見ると那古野の那の文字しか見えない!? あとは石が磨り減ったのか、何も読み取れない…。 石碑、もう新調したらどうか? 徳川義直時代、地名が那古野から名古屋に改名された。 那古野という地名の何がいけなかったのだろう?? 那古野のままだったら、東那高速、那鉄、那大、... [Read More]

Tracked on Jan 24, 2006 at 11:51 PM

« 台風23号 | Main | 合同ゼミ第9回会合 »